今回は、私たち人間の性格の話。
ここ最近、主にZ世代が「猫になりたい」と言っている(というか、そうつぶやいている)のを頻繁に見かける。
私は、そんなこと言っているやつが、猫になんかなれるわけない。といつも思っていた。その考え方は全然的を射ていなかったので、勘違いだったとも言える。
なので、私が猫になれるわけがないと思っている理由はあとから書くことにして、まずは犬的性格猫的性格について触れてみようと思う。
まずはここ↓であなたも犬的性格【犬派】か猫的性格【猫派】か確かめてほしい。
ちなみに私は【猫派 レベル2】だった。
犬的性格とは
犬的性格の人は、犬と同じように他者と積極的に関わることで人生をうまく生きていくことを選んでいる。なので、周りと仲良くし、お互いを褒め合うことでより結束を強めることを、ある種目標としている。
逆に言えば、周囲と仲良くしたいがために、他者から褒められたい、評価されたい、と思ってしまうのが犬的性格だ。もっと簡単に言うと、SNSでいいねして欲しい、メールの返信はすぐにして欲しい、家族や友だちとは深く仲良くしたいと思っている。
今を生きるZ世代は、犬的性格で生きなければ生きにくい世の中に社会や教育がしてしまっているのではないかと私は考える。
学校では、周りと仲良くしましょう、親や先生の言うことを聞きましょう、友だちを多く作りましょう、などの『教育』を少なくとも小・中学校で9年は受けているからだ。
この教育方針は、猫的性格の人には合わないだろう。
なぜか。
猫的性格とは
猫的性格の人は、猫と同じようにマイペースを好む。誰になんと言われようが、自分の思った道を進む。周りと協力しなくても、自分ひとりで生きていく力を持っているからだ。なので、誰とも協力しなくていいし、仲良くする必要も特にない。
誰かに褒められる必要もなければ、評価されたところで別になんの関係もない。
どうだろうか。猫的性格は、犬的性格の逆を行く。
別にSNSでいいねがもらえなくても関係ないし、すぐにメールの返信が来なくてもいい。表面的には他者とケンカはしたくないが、他者と深く関わる必要もない。
これは、学校で9年間教育されてきたことと、真逆な性格とも言える。
ここに、Z世代がよく言っている『猫になりたい』の心理があると、私はやっと気がついた。
要するに『猫的性格になりたい』という意味だったということだ。
本格派犬的性格
犬的性格の人は先程書いたように、みんなと仲良くすることを好み、実際にみんなと仲良くしている。人付き合いが上手い。そして、その広すぎる人付き合いにストレスを感じていないのが【本格派犬的性格】の人だ。
誰とでも話が出来て、誰にも恨まれず、誰とでも仲良く出来る。
ハッキリ言って、かなり楽しそうな人に見える。
みんなと仲良く出来ていて、常に明るい。みんなと一緒にいることが本人にとってもストレスになっていないからだ。注目されていても楽しくこなす。みんなをまとめる事ができる人だ。
例え話をするなら、ドッグランに行ったらみんなと楽しく走り回る人ということだ。
そして、本格派なら当然、その集まりのリーダーになる。
ただ、今の学校教育は、その本格派を育てているのではなく、その他大勢の方の犬的性格を育てているように思う。
指示を受けたらそれに従い、周りとも仲良くやっていく。そんな具合だ。
そのように教育したほうが、今後社会に出た時に扱いやすいからだ。
そこに問題があると私は思う。
では、本格派猫的性格はどうだろうか。
本格派猫的性格
猫的性格の人は先程書いたように、ひとりで生きていく。そうでないにしても、相手とは一定の距離を保ち、親しくなりすぎない。ひとりでいてもストレスはなく、逆に常に集団で過ごすと大きなストレスを受けることになる。これが【本格派猫的性格】の人だ。
基本的に自分が最優先だし、誰かに恨まれても、自分が傷つかなければ特に気にしない。
見た目としては、ひとりで楽しく生活する人なのでちょっと何を考えているかわからないことが多いだろう。もちろん、集団の中にいるときは無難に時間が流れるようにこなしているだろうが。ただ、時と場合によって周囲に対する態度が変わることもある。それでも、本人は特にストレスもなく生きている。
先程の例え話で言えば、
ドッグランに行ったら、みんなが駆け回るのをじっくりと観察しているだろう。自分の好きなようにゴロゴロしているかもしれない。カサカサ動く昆虫を仕留めているかもしれない。
犬的性格の人になにか言われたとしても特に気にしない。まぁ気が向いたらついていってやるか。噛まれたくはないし。みたいな感じだろう。
超気楽である。
別に自分が困ったら自分でなんとか出来るから、特に相手に合わせなくても良い。
こんな猫的性格に、Z世代は憧れているのだろう。
みんなと同じじゃなくても気にしない。自分は自分の道を自分で切り開いていく。
こんな感じだろうか。
最後に、私が思っている『猫』の生き方と『猫的性格』について、ここでは私が思っていたことは勘違いだったことについて書きたい。
私が思っている『猫』の性格
猫は、犬と比べて、とても態度がデカい。よくそんな小さい体で人間に向かってくるな、と思うことがよくある。もちろん、人間が猫に対してストレスを与えた場合(※)においてだが。
※爪切りやブラッシング、歯磨きなど、猫にとっては余計なお世話とも思える行為や、触りすぎ、なですぎといった過干渉など
猫の態度がデカいのには、理由がある。
猫は、別に人間からエサをもらわなくても、ひとりで生きていく力があるからだ。
自分で獲物を仕留める力を持っている。
対して犬は、自分ひとりでは獲物を仕留められるかどうかわからない。むしろ、集団でしか獲物を仕留められないかもしれない。なので犬は人間に対して噛みつくことはせず、しっぽを振ることを選ぶ。
自分で狩りに出かけるよりも助けてもらった方が『ラク』だからだ。
しかし猫はそうは思わない。まさかのときは、自分で狩りに出かけようと、常に思っている。人間に助けられなくても別に困らない。
それが猫である。
と、ここで私は思うのだ。
そんな「猫になりたい」とか思っているやつが、猫になんかなれるの…?
ひとりで狩りに行けるだけの実力、あなたにあるの?
と思っていた。
私は犬に噛みつかれたことはほどんど(※2)ないが、自宅の猫にはかなり頻繁に噛みつかれる。
※2 自転車に乗っていたら知らない犬に本当に突然噛みつかれたことと、自分の家の犬におやつをあげていたらおやつと一緒に噛まれた
猫は、ものすごく強気で噛みついて、前足で腕などを掴んで後ろ足でキックキックしてくる。そしてこちらが反撃する前に走って逃げる。そして、最悪の場合は毛を逆立てて歯をむき出しにし『シャー!!』と叫んでいる。
たった体重が5kgくらいの猫が、この態度である。
自分よりも遥かに大きい生物に対して、こんな態度で生きていく動物は、自分に対してものすごく自信がなければ生きていけない。
そんな性格に、あなたはなれるだろうか。
他人なんか関係ない。自分は自分だけでも生きていける。
そう思うことが出来るだろうか。
私たちは犬でも猫でもなく、人間
もちろん、私たちは人間なので、犬的性格でも猫的性格でも、人間社会で他者とともに生きていくわけだが、他者の評価を気にしない性格になるには、自分自身にもっと自信を持たなければやっていけないのは事実だろう。
その中で、まずは自分に自信を持つことが、猫的性格であっても生きていける第一歩であるとも私は思う。
生まれや育ちで得てきた自分の性格を変えることは簡単ではないだろうが、自分にとってストレスの少ない性格で生きていって欲しい。
ただ、犬的性格でも猫的性格でも、幸せに生きている人は当然いる。
本格派犬的性格の人が、本格派猫的性格の人が面白くて仲良くしている、というのももちろんあるし、本格派猫的性格の人が本格派犬的性格の人について行っているといろんな人に会えて面白い!というのもある。
自分がどう生きたいか、最終的に決めるのは自分なので、そこは本音で自分の性格を見極めてほしい。少なくとも、なんらかのことが原因で『我慢』をしすぎていては、幸せになれることはないと私は思っている。
私は『猫的性格』なので、誰に何を思われてもさほど気にしないが、この記事を読んで共感してもらえたらそれなりに嬉しい。
犬的性格、猫的性格について私が思ったこと は
おわり