今回は、猫の話。
わが家では、昨年夏に、市の動物愛護センターから1匹の保護猫を譲渡してもらった。
一昨年まで犬と暮らしていた。そして、犬の次は猫と暮らしたいと思っていた。なので、せっかく猫と暮らすなら殺処分されてしまうかもしれない保護猫をもらってこれば良いのではないかと思って、保護猫と一緒に暮らすことにした。
この保護猫、わが家がもらってこなければ、動物愛護センターで殺処分にされていたかもしれない。
その保護猫が、殺処分の方が苦しいのか、殺処分されずに保護されて生き残ることの方が逆に苦しいのかというのが、今回の話である。
日本における犬猫の殺処分
日本において、動物愛護センターや保健所で犬や猫を殺処分する場合、ドリームボックスという箱の中に犬猫を投入し、二酸化炭素ガスで殺処分が行われる。
二酸化炭素での殺処分は、想像してみれば誰でもわかるだろうが、当然息苦しい。息苦しいというか、酸素がなくなるので息を吸っても吸ってもどうしようもない。
そうして、ドリームボックスに入れられた犬猫は、死んでいく。
動物愛護センターで殺処分される『苦しみ』
このドリームボックスでの『苦しみ』が、殺処分される犬猫の『苦しみ』である。
当然、死ぬのだから苦しいに決まっている。
私たち、いまこの世に生きている生物は、一度も感じたことのない苦しみである。どれだけ苦しいか、想像しかできないが、とにかく苦しい。
さて、次は保護猫として、どこかの家族に大切に育てられる猫の話。
ある家族と暮らす保護猫
さて、次は、動物愛護センターからわが家に来た、わが家の保護猫。
ここでは、他の保護猫の暮らしは、ほとんど知らないので、わが家の話をしようと思う。
わが家は、私自身が動物が大好きで、一昨年に死んだ犬の介護は2年半していた。最後の1年は、24時間体制で介護をしていて、夜も眠れないことがしばしばあった。
そんな家族に迎えられれば、猫も幸せに暮らすことが出来る。
もちろん、犬と猫では一緒に暮らしていると言ってもこちらの対応がぜんぜん違うし、戸惑いもあったが、半年猫と暮らしてほぼ慣れることが出来た。
わが家の猫の『苦しみ』
猫のことは大切にしているし、これ以上何が出来るかというくらいなのだ。
しかし、猫としては本当に幸せなのか、全くわからない。
猫が鳴いているとき、大抵のことはこちらも理解できるが、稀に何が言いたいのかわからないこともある。
猫は、それでも幸せなのだろうか。と思ってしまうことがある。
そして、人間は大抵夜に寝て昼に起きる生活をしているが、猫は必ずしもそうではない。猫は夜中に運動会をしていることも、ある。
季節がいい時期なら家中を駆け回れるが、夏や冬はどうしてもそうはいかない。冷暖房を入れるからだ。
猫は、ストレスがかかって当然だと思う。
また、猫のことをどんなに大切にしていても、猫を踏んでしまうことは極稀にある。私は、猫の前足をものすごく強く踏んでしまったことがある。もちろん、わざとではない。
わざとではないが、あれはかなり痛かったと思う。
また、カメラで写真を撮れば、誤ってフラッシュ(スマホならLEDライト)が光ってとても眩しい思いをさせてしまうこともあるし、家の外に出たくても絶対に家から出してはもらえない。
なにか人間が使っている物のニオイが臭いときも、たいてい逃げられないし、人間が食べるものを誤って口にして苦しい思いをすることもある。運が悪ければ、それで死ぬこともある。
最後に、猫の命尽きるまで一緒に暮らしていれば、死ぬときに猫はまた苦しむだろう。最後まで安らかに死ぬ猫もいるだろうが、病気になればそれがとても苦しい。
殺処分の苦しさと、寿命で死ぬ苦しさは違うのだろうか。
この、全ての『苦しみ』が、猫に積み重なる。
これが、保護猫として保護された後の『苦しみ』である。
現代社会の対応
日本も含め、先進国では殺処分を出来るだけ少なくしていこうというのが共通認識だろう。世界では、殺処分は良くないこと。と認識されている。
しかし、もう一度冷静に考えて欲しい。
本当に殺処分は良くないのか。
そもそも、保護される前の野良猫の存在が私たち人間にどのような悪影響を与えているのか。
ちなみに日本では2020年度に、犬と猫を合わせて23,764頭が殺処分されている。そのうち猫は19,705頭である。また、その中でもキトン(幼齢個体)は13,030頭。子猫がこれだけ殺処分されている。
以下詳細↓
2021年度は今現在も続いている(~2022年3月末まで)ので、殺処分数はどうなるのかまだわからないが、その中の(ほんの)1頭(だけ)はわが家に来たので殺処分を逃れた。
人間の都合で殺すよりは、保護猫として生きたほうが良いのではないか、という意見はよくわかる。
しかし、あなたは保護猫と暮らしているだろうか。保護猫活動に協力しているだろうか。保護猫活動に寄付しているだろうか。
もちろん、税金を収めていれば、保護猫を生かす活動にも、保護猫を殺す活動にもお金を出しているということになる。
また、保護猫と暮らしていなければ、殺処分に賛成しているという事だ。とは私は思わないが、いじめを傍観しているのはいじめているのと同じ、という意見があるように、何も協力しないということは殺処分に賛成しているとも取れる。
現代の社会で、何が本当に正しくて、何が正しくないのかは、全くわからない。
野良猫は悪くて、カラスは悪くないのか。ハト、スズメ、シカは悪くないのか。
野生のサルも、人間に大きない危害を加えることもある。
野生のサルを殺処分にする話は、聞いたことがあるだろうか。
数が多いのは確かに野良猫だが、そればかりが問題でもないと私は思う。
あなたなら、どちらを選ぶ?
あなたは、動物愛護センターのドリームボックスで息が苦しくて死ぬことと、保護猫として保護されて、分割された苦しみを十年以上受けること、どちらを選ぶだろうか。
私は、うちに来た保護猫に対して、強制的に後者を選ばせてしまった。
当然、これまでも大切に育ててきたし、これからも大切に育てていなかければならない。
少なくとも『殺処分』よりはマシな生涯を、うちの元保護猫に与えてあげなければならない。
あなたは、どちらを選ぶだろうか。
殺処分をやむなしとして認めるか
保護猫を社会で協力してなんとか生かす手段を探るか
この答えは、どちらが正しいとも言えないのかもしれない。
そもそも、人間が暮らしやすいように勝手に決めた、押し付けがましいルールになるからである。
あなたの意見は、どちらだろうか。
人間と猫の共存に、どんな道が残されているだろうか。
保護猫を命尽きるまで生かすのが正しいのか、殺処分するのが正しいのか迷った話 は
おわり
犬の安楽死について真剣に考えた話はこちら↓